星のかけら ブログ

岐阜県東濃地方を中心に鳥や虫などを観察しています。私たちのまわりには不思議がいっぱい散らばっています。虫嫌いな人はごめんなさい。たまに可愛い芋虫も出てきます。

岐阜県東濃地方に伝わるヌシの伝承〜岩魚坊主

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伊藤龍平著「ヌシ 神か妖怪か」(2021年、笠間書店)を図書館で借りて読みましたが、とても面白かったです。ヌシというのは、長い間同じ所に棲み続けて、巨大になった生物で、全国に伝承が残っています。一番多いのが、川や沼に棲むヌシで、蛇、龍、鰻、鯉、蟹などがヌシになっています。ヌシと人間の関係性は千差万別ですが、普段は奥山に棲んでいるので出会うことはないのですが、人間が生活圏を広げヌシの生活圏を脅かすと、祟られることがあります。ですから人間の環境破壊を諫めるような今にも通じる伝承も残っています。

私の住んでいる岐阜県東濃地方にもそのようなヌシの伝承がありました。川に毒を流す漁法をヌシが諫めるという話しです。国会図書館で検索すると、物集高見 著「奇蹟ものがたり:行幸しらべ」(大正11年、雄文堂)にその話しが載っていました。大まかなあらすじを紹介します。

「岩魚坊主毒揉み戒む」

御嶽山の麓に川上・付知・加子母という三つの村がありました。そこは穀物が採れない場所なので、川では魚を山では獣を捕って食べていました。魚を捕るのに「毒揉み」という方法が使われていました。辛子と灰汁を使って団子を作り川に投げ込みます。魚が仮死状態になって浮いてくるところを捕まえる方法です。

あるとき、若者のグループが、山奥で魚が沢山いそうな淵を見つけ、そこで毒揉みをしようと集まりました。魚を捕る前に皆で昼食をとっていると、そこに一人の坊主が現れて、「そち達は魚を取るために毒揉みということをしているが、これは無体なことだ。他の方法ならよいが、毒揉みを決してしないように」と言いました。坊主が立ち去らずにいるので、食べ残していた団子、飯、汁を与えると、喜んで食べて、その場を去って行きました。

後に残った若者達は顔を見合わせて不審に思いました。もう毒揉みは止めようと言うものもありましたが、勝ち気な二三名が毒揉みを始めてしまいました。獲物の中には長さ6尺(180センチ)の大きな岩魚もありました。みんなは大喜びで、「坊主の言葉に従っていたら、こんな大きな魚は取れなかっただろう」と口々に罵りながら、村に持ち帰って、大勢で寄り合い、大岩魚を調理しはじめました。そしたらどうしたことでしょう。魚の腹の中に、昼に坊主に与えた団子、飯などが残っていました。勝ち気な若者たちも、気後れしてこの魚は食えないと言いました。

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